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5年後10年後の自分に疲れたら 未来は一旦忘れて、目の前だけを見るでいい

2017年5月7日

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「5年後、10年後、どうなっていたいですか。そのための行動、できていますか」

ビジネスを進める中でセルフマネジメントを行ったり、今後夢を叶えるための具体的な計画を立てたり、将来のビジョンを持ったできるビジネスパーソンになるためだったり、就職活動だったり、いたるところに出てくるフレーズのひとつです。

何年後までに絶対にこうなりたい。この時までには、この場所に立っていたい。そんなふうに明確に目標を立てられるなら、それは素晴らしいことだと思います。

でも、正直、疲れてしまうときありませんか・・・。

わたしは疲れてしまいました。

先のことは誰にもわからない それを訊く人は何が知りたいの?

あれがやってみたいとか、あそこに行ってみたいとか、ぼんやりした希望はありますが、じゃあそのために今これをやって、次にこれをやって・・・というイメージがわかないのです。

健康で、やりたいことができる自分でいたい。

5年後も10年後も、望むことはそれだけです。

やりたいことができる自分とは、簡単に言えば、やりたいことに挑戦できるくらいの心身の健康と財力を持っていたい、ということです。

でも、就職活動や、できるビジネスパーソン(ハイパフォーマー)のセミナーやコンサルティングを受けるときは、こんなぼんやりした回答じゃ許されないだろうなぁと思います。

新卒の就活生なんて気の毒だなぁと思いますよ。まだ社会人にもなっていないんだから、そんなのわからないですよねー。いったい何人の就活生が心からそう思ってこれを語っているのやら。

訊くほうも意図を持って訊いているのだと思うのですが、

「先のことを考えていないなんてダメだよ。ビジョンを持っていることがいいことなんだよ」

というだけのメッセージなら、あまり意味はないな、と思います。

目標なんてなくたっていい その時その時を懸命に生きる

以前、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」(岡村隆史さんが3人くらいのインタビュー取材を順番にしていく特番だったと思います)をなんとなく見ていたときに、坂東玉三郎さんが言っていました。

「あまり将来のことを考え過ぎて、そうなっていなかったときはどうしますか?ストレスになりませんか?だったら、今日明日を充実して過ごすほうがよくないですか?目標にしばられると変わるべき時が来ても変われないかもしれない。一日ずつをしっかり生きていれば、道は開かれると思います」(←覚えている内容がこんな感じでお話しになった言葉は違うと思います)

これを聞いたとき、わたしは自分を覆っていたものが剝がれていくのを感じました。

そうか、目標は具体的でなくてもいいのか。そう思ってすごく安心したのを覚えています。

頭の中でぼんやり描いているだけだとしても、本気でそう思っている夢や目標があるなら、日々、自然とそちらへ向かう選択をしていると思うんですよね。

そのために、今日、明日をしっかり生きていく。

先のことは、考えなさ過ぎてもダメだし(←貯金しなくなる)、考え過ぎてもダメ(←自分の本音をないがしろにしちゃうかも)ってことですかねー。

もちろん、具体的な目標を掲げて、それに向かって一直線!な人はまぶしいし、応援したいです。(そういう人に嫉妬しちゃうってときは、まだまだ知らない自分が潜んでいるのかも・・・。)

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マリゴールド

1970年東京生まれ/都内で夫とネコ2匹と暮らす/30歳でひとり暮らしを始めるまで、実家でひたすら「自分博物館」を作り上げ、その後大規模の片づけをくり返すうち自分なりの片づけの哲学にたどり着きシンプルライフに移行/ミニマリストもいいけど極限まで削りたいわけじゃない/「したいことだけする、したくないことはしない」の意味が最近わかり始めたところ/たまに英語を話します

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