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子どもがいない人生について思うこと

2020年8月7日

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わたしには子どもがいません。

40歳で結婚し、一度授かりましたが生まれませんでした。それまでも子どもを熱望する人生ではなかったので、心(ありがたいことに身体にも)に受けた深刻なダメージはほとんどありませんでした。夫も似たような感覚だったので、その後不妊治療をすることを選択しませんでした。そもそも本当に子どもが欲しいと思っていたら、お互い40歳まで独身ではいなかったと思います。

今回は、子どもがいない人生はどんな人生なのか、また子どもがいないからこそ役に立てることもあるのかな、と考えていることを書いていきます。


自分にいてもいなくても、子どもはかわいいです!

子どもがいない人生

わたしの両親はわたしが30歳のときに他界しています。母はわたしに「結婚して子どもを持つ」ことを熱烈に望んでいましたが、わたしは期待に応えられない自分のことも好きになれなかったし(自分には何の価値もないんだろうなと思ってた)母のことも煩いと思っていました。

結婚したのが遅かったせいか、夫側の親戚にもわたし側の親戚のも子どもについて言われることはありませんでした。

しかしなぜか関係ない人たちが言ってくる不思議。たまたま出くわした見知らぬ高齢女性に早く子どもを産むようにと言われ放置していたらもっと絡まれたのでウソ泣きして逃げたとかは、あります。あの人誰だったんだろう。

子どもがいない人生はどうかというと、わたしにとってはただ、家族の中に子どもがいないというだけです。家の中のほとんどのことが大人の秩序にもとづいて動いているので楽といえば楽ですが、ネコがいるため「はっ!何だこれは・・・・」ということはたまに起こります。家の中が散らからないというのは、子どもがいてもいなくても関係のない話なので敢えて利点とは思いません。だって、大人でも子ども以上に散らかす人いますよね。お片づけ上手な賢い子どももたくさんいますし。

子どもがいない人にはわからない

わたしの周りには子どものいる人がたくさんいます。保育園の送り迎え、仕事、家事、と忙しそうに走りまわる人(お疲れ様です)、ゆったりと子育てをする人(ゆったり見えているだけで実際にゆったりとはしていないはず)、お子さんがもう成人しているまたはある程度大きくなり手が離れた人、さまざまです。

彼らの話を聞いたり、また、子どもについてのニュースなどを目にするといろいろ考えることがあります。が、それはきっと「子育てをしたことがない、子どもがいない」わたしにはわからないことなんだろうな、と思います。

幸い「子どもがいない人にはわからない」「子育てしたことないくせに」みたいな暴言を吐く人が周りにいないので、それで揉めたり嫌な気持ちになったことはありません。

子どもがいない大人の価値

「子どもがいない人にはわからない」が始まってしまうと「あなただって子どもがいないわたしの気持ちはわからない」という、同じ立場の人でなければわかり合えないという幻想を生み出し、そもそも「人間はひとりひとりがみんな違う」という大前提を無視した話になってしまうので、そういった非生産的な話は無視します。

子どもがいるから価値があって、子どもがいないから価値が無いという価値観も意味が無いので無視します。

でもわたしは、子どもがいない大人だからこそ実は子育ての役に立てることがある、と思っています。

親になると親の目線になり、親でなければ子どもの目線になれる

それは、「子ども目線を失っていない」ということです。

もちろん子どもがいる人も子どもの目線を持っている人がいると思います。ただ、ことが起こったときはどうしても「親の目線」が勝つのですよね・・・と思います。

こんなことがありました。

わたしが中学生の頃、貧血気味で体調不良が続いたことがあります。母に付き添われて病院に行った後、母はあるスーパーの前のやきとりの屋台の前で立ち止まり、レバーをひと串買いました。そして、わたしにそこで食べるよう言いました。鉄分を今すぐここで採れと・・・?

わたしは拒否しました。そのスーパーは学区内のお店で、時間はちょうど通っていた中学の下校時間。中学生の女子が外でやきとりを食べているのを学校の誰かに見られたら、地獄です。でも、当時のわたしはそれをうまく説明できなくて「いやだ、食べない」としか言えませんでした(理由を言ったところでなんだかんだ叱られるからそれがめんどうだった)。もちろん母は怒ってその後ずっと不機嫌でした。わたしは「お母さんはわかってくれない」とがっかりするだけでした。恥ずかしいという気持ちに気づいてほしかったのです。

このエピソードを知人に話したことが何度かあるのですが、子どもを持っている人は100%「それはお母さんはあなたが心配だったのよ」「お母さんの気持ちわかる」という話に終始し、当時のわたしの「中学生がそんなことを外でするのは恥ずかしい」ことに共感してもらえませんでした。

もちろん、わたしのことを考えてくれた母には感謝していますし、食べないとは言っていません。ただスーパーの前で立って食べるのはイヤなのだ!!!わかってくれ・・・。

このときに思いました。親になると、純粋に子どもの立場になるのは本当に本当に難しい事なんだな、と。で、それができるのが、子どものいない大人、ではないかということなのです。

子どもは自分の気持ちをうまく親に伝えられません。聞いてくれないタイプの親だともちろんですが、上手に気持ちを伝えられないのですよね。子どもにはその技術がありません。親に言いくるめられたら絶対に負けるし、ただわがままを言っていると思われます。だから子どもは黙るのです。

親は親の目線で。子どもは子どもの目線で。それ自体はあたり前のことですが、残念なことに、コミュニケーション能力の差ですれ違いが生まれます。

親だって子どもの目線で考えようと一生懸命だとは思うのですが、やはりどうしても親の目線が勝ちます。親の背中にはいろんなものがあり過ぎて冷静にはなれないということなのでしょうね。

だけど、親の目線を持っていない、子どものいない大人なら、もう少し子ども寄りの目線で見られます。自分の全人生が「誰かの子ども」で過ごしてきているので、リアル子ども目線です。自分の幼いときの思い出も、すべてが子ども目線です。親にああして欲しかった、こうして欲しかった、もっと自分がこうすればよかった、もすべてが子どもとしての気持ちなのです。

どんな立場の人でも誰かの役に立てる

「子どもがいるから」「子どもがいないから」で簡単に分けられる話ではないのですが、子どもがいない大人であるわたしはこのように考えています。

子どもがいるいないで分ける人がいる場合、その人はそこで思考停止することを選んでいるので「あっそ」と思うだけですが、子どもがいない人のほうが実は子どもの気持ちをよくわかっていることもあるんだよ、ということが今日の言いたかったことです。

そして大人であればその気持ちを、子どもの頃よりずっと上手に伝えられるのです。

 

 

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マリゴールド

1970年東京生まれ/都内で夫とネコ2匹と暮らす/30歳でひとり暮らしを始めるまで、実家でひたすら「自分博物館」を作り上げ、その後大規模の片づけをくり返すうち自分なりの片づけの哲学にたどり着きシンプルライフに移行/ミニマリストもいいけど極限まで削りたいわけじゃない/「したいことだけする、したくないことはしない」の意味が最近わかり始めたところ/たまに英語を話します

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